有酸素運動は、体力づくりだけでなく、脳のコンディションを整える習慣としても注目されています。歩く、軽く走る、自転車に乗る、階段を使う。こうした息が少し弾む運動は、気分、集中力、記憶、ストレスへの反応に関わる脳の働きとつながっています。
もちろん、有酸素運動をすれば短期間で能力が大きく変わる、という話ではありません。大切なのは、セロトニンや海馬、BDNFといった言葉を「すごそうな脳科学」として見るのではなく、日常の行動を整えるための知識として使うことです。
この記事の要点
- 有酸素運動は、気分調整、記憶、学習、ストレス反応に関わる脳の仕組みと関係している。
- セロトニンは「幸せホルモン」と単純化されがちだが、睡眠・覚醒、行動の安定、気分の調整などに広く関わる。
- 海馬は記憶や学習に関わる脳領域で、運動との関係ではBDNFや神経可塑性がよく語られる。
- 健康経営では、社員に運動を求めるより、自然に歩く・立つ・外に出る職場設計が重要になる。
有酸素運動が脳と相性がいい理由

有酸素運動とは、ウォーキング、ジョギング、サイクリング、水泳など、呼吸をしながら一定時間続けやすい運動のことです。筋肉だけでなく、心肺機能、血流、自律神経、ホルモン、神経伝達物質など、全身の調整システムをまとめて動かす特徴があります。
脳は、体から切り離された臓器ではありません。長時間座り続け、呼吸が浅くなり、血流が滞り、ストレスが続けば、頭だけで集中しようとしても限界があります。反対に、軽い運動で体を動かすと、脳への血流、覚醒度、気分の切り替えが変わり、仕事に戻りやすくなることがあります。
厚生労働省の身体活動・運動ガイド2023でも、成人では「今よりも少しでも多く身体を動かす」ことが基本として示されています。脳のための運動も、最初からハードな運動を目指す必要はありません。まずは座りっぱなしを切り、日常の中に歩く時間を戻すことが入口になります。
セロトニンは「気分」と「生活リズム」に関わる

セロトニンは、脳や腸などに存在する神経伝達物質です。一般には「幸せホルモン」と呼ばれることもありますが、その表現だけでは少し単純です。セロトニンは、気分、睡眠・覚醒、食欲、痛みの感じ方、衝動性、ストレス反応など、幅広い調整に関わります。
運動とセロトニンの関係は、特に動物研究や神経科学の領域で多く検討されています。運動はセロトニン系、BDNF、海馬の神経可塑性など複数の仕組みを通じて、気分や認知機能に関わる可能性があります。ただし、人間の日常生活では睡眠、食事、日光、ストレス、社会的な環境も影響するため、「運動だけでセロトニンが整う」と言い切るのは慎重であるべきです。
実用的には、朝や昼に少し歩く、通勤で一駅分歩く、昼休みに外へ出るといった行動が、体内時計と気分の切り替えを助ける可能性があります。運動を「消費カロリーのため」だけでなく、「脳のスイッチを入れる時間」と見ると、続ける意味が変わります。
海馬とBDNFは記憶・学習の土台に関わる

海馬は、記憶や学習に関わる脳の領域として知られています。新しい情報を覚える、出来事を整理する、場所や文脈を記憶する、といった働きに関係します。
運動と海馬の関係でよく出てくるのが、BDNFです。BDNFは「脳由来神経栄養因子」と呼ばれ、神経細胞の成長、維持、シナプスの可塑性などに関わるタンパク質です。研究では、運動がBDNFや海馬の機能と関連する可能性が示されており、特に学習や記憶との関係が注目されています。
ここで大切なのは、脳を「鍛える」という言葉を大げさに使いすぎないことです。人間の海馬でどの程度の神経新生が起きるのか、運動による変化がどのように認知機能へ結びつくのかは、まだ研究が続いています。とはいえ、運動が脳の可塑性や認知機能と関係するという方向性は、多くの研究で検討されているテーマです。
セロトニン
気分、覚醒、睡眠、行動の安定などに関わる。運動だけで決まるものではないが、身体活動との関連が研究されている。
海馬
記憶や学習に関わる脳領域。運動、BDNF、神経可塑性との関係がよく取り上げられる。
BDNF
神経細胞の維持やシナプスの変化に関わる因子。運動習慣との関係が複数の研究で検討されている。
仕事では集中力・切り替え・疲労感に影響しやすい

有酸素運動と脳の話は、仕事の現場でも重要です。長時間座って作業していると、集中力が落ちる、考えが固まる、午後に眠気が出る、イライラしやすい、といった形で不調が出ることがあります。
これは本人の根性だけの問題ではありません。人間の脳は、同じ姿勢、同じ画面、同じ刺激が続くと、注意の切り替えが難しくなります。軽い歩行や階段移動は、視覚、前庭感覚、筋肉、呼吸、心拍を少し変え、仕事モードをリセットするきっかけになります。
業務面では、次のようなデメリットを防ぐ視点が重要です。
- 集中が切れたまま作業を続け、ミスや確認漏れが増える
- 疲労感が積み重なり、会議で発言や判断が鈍る
- 肩こりや腰痛が気になり、作業姿勢がさらに崩れる
- 気分転換ができず、短いストレスが長引きやすくなる
- 出社していても本来の力を出しにくいプレゼンティーイズムにつながる
有酸素運動は、仕事時間を削るものではなく、仕事の質を保つためのメンテナンスとして考えると導入しやすくなります。
最初のステップは「きつい運動」ではなく「息が弾む時間」

有酸素運動を始めるとき、多くの人はランニングやジムを想像します。しかし、忙しい人ほど最初から大きな予定を作ると続きません。最初のステップは、息が少し弾む時間を生活に戻すことです。
おすすめは、次のような小さな入口です。
- 昼休みに5〜10分だけ外を歩く
- オンライン会議の前後に階段を1〜2階分使う
- 通勤時にエスカレーターではなく階段を一部だけ使う
- 考えごとをするとき、席を立って歩きながら整理する
- 週末だけ長く運動するより、平日に短く分散する
強度の目安は「会話はできるが、少し息が弾む」くらいです。運動不足の人は、最初から追い込むより、翌日もできる軽さを選ぶほうが続きます。体調が悪い日、痛みがある日、強い疲労がある日は無理に増やさないことも大切です。
健康経営では「歩く人」ではなく「歩ける職場」を作る

健康経営で有酸素運動を扱うとき、社員に「運動しましょう」と呼びかけるだけでは弱いです。忙しい職場ほど、正しいことを知っていても実行する余白がありません。
だからこそ、職場側で自然に身体活動が増える設計を作ることが重要です。たとえば、昼休みのウォーキング企画、短いウォーキングミーティング、階段利用を促す動線、休憩時間に外へ出やすい文化、座りっぱなしを切るアクティブブレイクなどです。
有酸素運動の施策は、歩数競争だけにすると参加者が偏りやすくなります。すでに運動している人だけが盛り上がり、運動が苦手な人は入りにくくなるからです。健康経営では、競争よりも「参加しやすい」「短時間でできる」「評価されすぎない」仕組みのほうが続きやすくなります。
職場で取り入れやすい有酸素運動の設計
- 朝礼や会議前に1分だけ立つ・歩く時間を入れる
- 1on1や短い相談をウォーキングミーティングにする
- 昼休み後に5分歩くチーム習慣を作る
- 歩数は個人評価ではなく、職場環境改善のヒントとして見る
- 運動が苦手な人も参加できるよう、強度を低めに設定する
有酸素運動と脳に関するQ&A

- Q. 有酸素運動は何分から意味がありますか?
- A. 最初は5〜10分でも十分入口になります。厚生労働省のガイドでは「今より少しでも多く身体を動かす」ことが重視されています。続けやすさを優先しましょう。
- Q. 朝と夜ではどちらがよいですか?
- A. 続けやすい時間帯が基本です。朝や昼の軽い運動は覚醒や気分の切り替えに使いやすく、夜は強すぎる運動を避けると睡眠を邪魔しにくくなります。
- Q. セロトニンを増やすために運動すればよいですか?
- A. セロトニンだけを目的にするより、睡眠、日光、食事、ストレス、身体活動をまとめて整える視点が現実的です。運動はその中の重要な一つです。
- Q. 会社で導入するなら何から始めるべきですか?
- A. 歩数イベントより先に、座りっぱなしを切る仕組みを作るのがおすすめです。会議前後の1分移動、昼休み後の短い散歩、階段利用の動線づくりなどが始めやすいです。
書籍紹介:『一流の頭脳』

有酸素運動と脳の関係をさらに知りたい人には、アンダース・ハンセン著、御舩由美子訳の『一流の頭脳』(サンマーク出版)が読みやすい入口になります。
この本は、運動が集中力、記憶、気分、創造性などにどう関わるのかを、一般読者向けにわかりやすく紹介している一冊です。添付画像の表紙にもあるように、学力、IQ、集中力、記憶力、抗疲労など、仕事や学習に関心がある人に刺さりやすいテーマが並んでいます。
記事で紹介したセロトニン、海馬、BDNFといった言葉は、専門用語として覚えるためではなく、「なぜ歩くことが脳の習慣になるのか」を理解するためのものです。運動をダイエットや体力づくりだけでなく、仕事の集中力やメンタルコンディションを支える習慣として見直したい人に向いています。
参考文献
- 厚生労働省:身体活動・運動の推進
- e-ヘルスネット:「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」推奨シート 成人版
- Liu PZ, Nusslock R. Exercise-Mediated Neurogenesis in the Hippocampus via BDNF. Frontiers in Neuroscience. 2018.
- Gao Y, Syed M, Zhao X. Mechanisms underlying the effect of voluntary running on adult hippocampal neurogenesis. Hippocampus. 2023.
- サンマーク出版:一流の頭脳
